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占い

軒下の占い師さんに、二千円で手相占いをやってもらった。
いろいろ教えてもらったけれど、
「なんでも話せる友達を一人つくりなさい」
と、何度も繰り返し強調された。
そんな友達を一人つくることで、私の性格から人生から、大きな変化を遂げるらしい。

それはどうか。
そもそもそれは友達か?一方的な依存じゃないのか?
何でも話すというのは、つまりアイデンティティの崩壊と同義じゃないのか?
私は決して秘密主義というわけじゃない。
おもしろくない話ばかりしてしまうので、聞く人を不快にさせるのが申し訳なくて、あんまり話したくないだけだ。たまにお酒が入ると饒舌になってしまい、深く反省する。
そもそも友達には、話したいことも話せることも全て話している。
それでも絶対に話すべきではないと理性が強く制限している部分は、細くて少ししか持たない人との関わりの糸が途切れてしまうのを防ぐ砦だ。
自分をだだ漏れにしてどうする。大丈夫な訳がない。
嫌われるのなんて一瞬なんだよ。
それに怯える心を臆病と言われたって!

これから先、友情だろうと愛情だろうと、たとえ新しい可能性をどれだけ切望しても、私からのアプローチは一切しないと決めている。
私がどれだけ誰かに興味を持ったところで、相手から接触を計るほど私に興味を持ってくれなければ意味がない。相手の興味を引けない自分は酷く虚しくて、やっぱりつまらない人間なんだといちいち落ち込むことになる。それはいい加減に辛い。
なんでも話せる友達をつくれなんて、ほんとうに的外れ。
むしろ沈黙を守る事こそ私の至上の命題だ。

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心無いが、偽善も無い。

吉本ばななの小説『TUGUMI』の中の少女、つぐみがこう言っている。

たとえばさあ、地球にききんが来るとするだろ?
それで、食うものが本当になくなった時、あたしは平気でポチを殺して食えるような奴になりたい。もちろん、あとでそっと泣いたり、みんなのためにありがとう、ごめんねと墓を作ってやったり、骨のひとかけらをペンダントにしてずっと持ってたり、そんな半端な奴のことじゃなくて、できることなら後悔も、良心の呵責もなく、本当に平然として『ポチはうまかった』と言って笑えるような奴になりたい。

*     *     *

私は生き物、とりわけ哺乳類が苦手だ。さらに範囲を絞れば愛玩動物が苦手だ。
誤解を恐れず断言すれば、犬や猫を可愛がる飼い主が苦手だ。
どれだけ尊敬できる人であっても、親しい友人でさえ、飼い主である一面は受け入れられない。
無条件に可愛がることがどうして出来るのか。一方的ですらある愛情が痛々しく感じられてしかたない。
とくに、ペットの死を本気で悼んで涙する姿を見ると、いたたまれなくなる。
なぜなら私がその悲しみを全く共有できないからだ。
一般的な常識を客観的な事実と照らし合わせ、分析し、嘘のない範囲で自分の考えを述べ、形式的な悔やみの言葉をおくる他に出来ることはない。
だから、本心から一緒に悲しめないことに罪悪感をおぼえ、そのたびに自分の冷たさを実感し、胸の内が少し重くなる。自分が出来損ないのような、間違っているような、人として異質であるかのようで、理不尽さに苛立つ。
ペットを飼っている人には、大事な家族なんだよね。まるで我が子のようだとは聞く。
でも、犬は犬だし猫は猫だ。それで、私は人間だ。
ペットを可愛いがるのは構わない。けれど、有事の際、赤の他人の子供より自分のペットを守ろうとする人を、私は絶対に許せないだろう。それは、地球的規模での犬や猫の命が人間の命より軽いという意味ではなくて、人間が動物であるかぎり、そして人間という種類に属する生き物であるかぎり、同種を優先するのが当然の姿なのではないかという、理念のようなものだ。
たとえば本当に食料がなくなったとして、私は必ずこう思うに違いない。

その犬を殺して肉をくれ。

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